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最高裁判所第二小法廷 昭和42年(あ)2172号 判決

被告人

山原健二郎 外六名

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人佐々木哲蔵ほか六名連名の上告趣意第一点について。

論旨は、憲法一四条違反をいうが、被告人らと同様の行為をした者が他にもいるのに、被告人らのみが起訴され処罰をうけるからといつて、憲法一四条に違反するとはいえないこと当裁判所大法廷昭和二三年一〇月六日判決、刑集二巻一一号一二七五頁の趣旨に照らし明らかなところである(なお、当裁判所第二小法廷昭和二六年九月一四日判決・刑集五巻一〇号一九三三頁、同昭和三三年一〇月二四日判決・刑集一二巻一四号三三八五頁各参照)から、論旨は理由がない。

同上告趣意第二点について。

論旨は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない(原判決の認容する第一審判決が、その認定事実につき不退去罪ならびに監禁罪の成立を認めたのは相当である。本件が教職員組合の団体行動の一環としてなされたものであるという点を考慮しても、被告人らの所為は、社会通念上許容される限度を超えたものといわなければならず、これを正当行為とみることはできない。)。

弁護人らの昭和四三年七月四日付ならびに昭和四四年六月一四日付各補充上告趣意は、期限後に提出されたものであるから、これに対しては特に判断を加えない。

そのほか、記録を検討しても、本件につき刑訴法四一一条を適用すべき点は認められない。

よつて、同法四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

弁護人佐々木哲蔵、同阿河準一、同古川毅、同柳沼八郎、同尾山宏、同橋本敦、同小牧英夫の上告趣意

(昭和四三年一月二七日付)

第一、原判決の憲法第一四条に違反する。

わが憲法第一四条は、すべて国民は法の前に平等であることを保障する。この理念は、国家権力の行使たる刑事訴追に関しても、その公正と正義の保持のために、適用さるべきものである。国民に対する訴追権を検察官がもち、検察官は起訴するか不起訴処分にするかの裁量権をもつものであつても、その処分が恣意に流れることが許されないのは勿論、法の前の平等の理念に反して、特定の者に対し、著るしく不利益、差別扱いに陥ることは許されるところではない。事件の具体的状況にてらして、敢て、かかる不条理、不正義がなされている場合には、裁判所は、そのような公訴提起は法令に違背する違法なものとして公訴棄却をするか、または、事案によつては、免訴の判決をなすべきものであるといわねばならない。しかるに、右の点について、なんら審理、判断することなく、被告人らに有罪の判決をなした原判決は、以下にのべるように、憲法第一四条に違反するものであるといわねばならない。

いうまでもなく本件は、昭和三三年の、日教組を中心とする勤評反対闘争の中で惹起されたものである。教師と教育に対する権力支配の体制確立を企図して強行せられたこの勤評実施に対し、日本教育学会をはじめ、各階層の有識者や民主的諸団体からこれに反対する与論が高まるなかで、日教組傘下の各都道府県の教職員組合は、止むなき手段として、一斉休暇闘争等、その団体行動権を行使してこれの反対闘争に立上つたのであつたが、これらの行為が、地公法三七条、六一条四号の適用により訴追されたものの、大教組事件判決、前橋地裁の群馬教組事件判決、福岡高裁の佐教組、福岡教組事件判決など、あいつぐ無罪判決によつて、勤評反対のための団体行動権の行使の正当性が明らかにされつつある。高知県においては、検察官は、高知教組の勤評反対休暇闘争を地公法違反によつて訴追することができず、そのため、この高知県教組の闘争を抑圧するために、高知県教委は、教師の休暇権の行使を承認した校長に対し、異例の大量懲戒処分を加えるに至り、ついで、この不当処分に対する多数組合員参加のもとで行なわれた高知県教組の本件団体交渉をとらえて検察官は、不法監禁罪、不退去罪等により、刑事訴追するに至つたものであることが明らかである。かかる状況のもとでなされた事件の刑事弾圧の状況をみるに、それは、逮捕者が五十名余に及ぶという、かつてない広汎、かつ、烈しいものであつたが、そのなかで検察官は、全て恣意に流れ、なんら合理的理由もないのに、本件被告人七名のみを、不利益差別扱いし、著るしく公平、平等の理念と正義に反する訴追を敢てなしたものである。

この点の不当性は、すでに第一審以来、被告人、弁護人の強く主張するところであつて、控訴趣意書においても、主張していたところであるにもかかわらず、原判決は不当にも、これについてなんらの判断も示していない。

高知県教委に対する本件交渉は、のちにものべるごとく、同県教委の行なつた余りにも異例、大量、不当の行政処分の故に、広く高知県教組一般組合員の大きな憤激をよびおこしたため、多数の一般組合員が自主的に参加するものとなつたのであるが、その交渉主体は、あくまでも、高知県教組および、その支持指導のもとで行なつた安芸高校分会であり、高知県教組の幹部が責任をもち、指導権をもつて進めたものであつた。

この交渉が全体として正当なものであり、これが不法監禁罪や不退去罪に該当するものではないことはのちにのべるけれども、そもそも、検察官がなした被告人らに対する本件訴追自体が、すでに、著るしく公平と正義に反するものなのである。すなわち、本件交渉が、高知県教組と県教委との団体交渉にほかならず、教組の幹部が責任と指導性をもつて行なわれたものであるという面からみて、仮りにこれが検察官主張のように違法なものであるとしても、その責任を幹部について問わんとする意図である限り、当時交渉現場(とくに、退去要求の出たのちの時点において教育委員室等)について、交渉責任者の主要な地位にあつた古屋野書記長、森副委員長(当時、本件被疑事実によりいずれも、被告人らとともに逮捕されている)を不起訴処分になすべきいわれは毛頭ない。また、本件に関する右両名の具体的行動についてみても、本件各証拠によつて極めて明白であるように、右両名は、交渉の際、いずれも、最も前面に位置して、組合を代表して山原被告人と行動をともにし、積極的に発言、その他交渉をすすめるための指示や行動をなし、山原被告人を除くその余の六名の被告人らに比較すれば、当時の組合における役職も責任もはるかに重く、その高い地位にふさわしい、積極的指導的役割をはたしていることが明白である。前記被告人らが、交渉の部屋に入つたり出たりしている事実、とくに、警官介入の場面などにおいては、これら被告人は、山原、森、古屋野らの指示にもとづき行動しているにすぎないことが明らかである。

さらにまた、堀川影寿(当時、高知県教組常任執行委員、調査部長、同様に逮捕された者)が、交渉の部屋について終始積極的に発言して、教育委員を追及し、長谷川委員を辞任に追いこみ、またとくに、退去要求については、退去要求を書いた紙をもちこんで教育長をきびしく追及した事実も証拠上顕著なところである。

以上のとおり、前記森、古屋野、堀川らの本件における行為は、被告人らの行為に比較すれば、極めて積極的なものであつた事実は一見明白なところなのである。しかるに、これらの森、古屋野、堀川らがなんら訴追されず、被告人らのみが訴追されたことは、著るしく公平を失し、正義に反すること甚だしい処分であるといわねばならない(因みに、被告人らはいずれも免職処分によりその地位を奪われ、長年被告の座にあつて、言い知れぬ苦しみを受けているのに、前記三名は免職処分にもされず、現在、森は指導主事、堀川は高知市教育委員長の職にある)。

以上の事実にてらし、裁判所が、正義と公着の理念に立つ限り、検察官による本件差別的訴追の不当違法性を明らかにすべきことはその当然の責務であるといわねばならない。

しかるに前記のとおり、原審は、この点について、なんら審及、判断することなく、漫然と被告人らの控訴を棄却して、そもそも本件起訴処分の違法性を明らかにしなかつたことは、憲法第一四条に違反するものである。

第二、原判決は重大な事実誤認、法令の解釈適用の誤りによる著るしく正義に反し、破棄さるべきである。

(一)  本件の動機、原因

高知県教育委員会の勤評強行と大量処分不当性

文部省が企画した教師に対する勤務評定は教育という職務の創造性、人格形成の多様性等その特色にてらしても、また、それが一般に信頼されるに足る科学的合理性をもち得ないことにてらしても、とりわけ、それが強行せられようとした政治的背景と教育に対する権力支配のねらいとからしても、教師が民主教育を擁護するため断固としてこれに反対することは、けだし、当然のことであつた。このことは、今日、教師に対する勤評が教育現場に重大な悪影響を及ほしている事実をみても明白である。教え子をふたたび戦場に送るなという言葉にあらわれているように、日本の教師たちは、未来の青少年の幸せと、平和と民主主義の教育、真実の教育を迫り来る反動体制に抵抗してまもりとおすという、教師の良心をかけた闘いに立上つたのであつた。

高知県における勤評反対闘争は、このような教師の熱情と信念にもとずく教師の固い団結によつて闘われ、全県下にわたつてはげしいもり上りを示し、高知県教育史上、かつてない重要な意義をもつものとなつた。

これに対し、高知県教育委員会は勤評が教育に及ぼす諸影響について十分審議せず、その是非について、高知県教組と誠意をつくして話し合い協議をなさなかつた上(ILOユネスコの教師の地位に関する勧告によつても、教師に対する勤評は教師団体との協議、同意を要することが国際的に確認されている)、この団体交渉を一方的に拒否して、多数の警官隊を動員し、勤評実施を強行したのである。

かかる事態に対し、高知県教組に結集する六千の教師は、ついに止むなく、休暇闘争をもつて、県教委に対する抗議と勤評撤回のための行動に立上つたのである。

これに対し先にも述べたように、県教委は、高知県教組の勤評反対闘争を抑圧するため、校長に対する大量処分と安芸高分会に対する強硬処分を発令するに至つた。

この処分は全く秘密裏に行なわれたためたまたま当時、教育委員会に他の用件で赴いていた東元委員長、山原副委員長、古屋野書記長らもこれをきいて驚き、直ちに、ごく自然な形で右処分に関し話し合いに入り、県教委も、この交渉に応じる態度に出て、かくして、本件団体交渉が開始されるに至つたのであるが、やがて、この大量処分発令の事実を伝え聞いた組合員らは、遂次、烈しい怒りをもつてこの交渉に参加して来たのである。

以上の事実は、第一審判決認定にもあるとおり、本件各証拠によつて明白なところである。

ところで、多数組合員らが自主的、かつ自然に参加して、もり上つた本件交渉が、組合員らの怒りや抗議により、時にきびしい追及となつたことがあるのは原判決も容認するとおり、県教委の右処分が、四五五名という、極めて異例、大量のものであること、それが勤評闘争に対する全面的弾圧を企画するに外ならないものであることに起因することは明白である。かくして、本件の誘因となり、その動機、原因となつたものは、高知県教委の反動的権力的行政、勤評の強行といわれのない教組弾圧とにあつたものといわねばならないのである。

(二)  本件団体交渉の具体的情況

(1) 本件団体交渉は、一一月二九日午後三時ごろから、高知県教組と高知県教委との間できわめて平穏に開始された。

右の団体交渉においては、組合側は、一貫して基本的には不当な大量処分の撤回を要求しつつ、具体的には、まず処分事由を明らかにするよう要求し、ついで、いかなる調査、資料にもとずいて右の処分をおこなつたかという処分の手続き、経過、根拠についての釈明を求め、さらにこれらの論議のなかで、たとえば、校長の休暇許可権、地教委の内申権、上司の職務命令などの意義や効力について県教委側の見解をただすとともにみずからの見解をも明らかにし、事実と道理にもとずいて、本件処分がいかなる観点からも是認できないまつたく不当なものであることを明らかにした。この団体交渉の過程で、教育委員会の過半数にあたる三人の教育委員が安芸高校教職員に対する処分事由の事実関係について調査が不十分であつたことを認め、再検討の必要があることを認めた。また一教育委員は処分の責任を感じ辞意を表明して退席した。本件団体交渉の特徴を一言で述べるならば、県教委側が、なんとか組合の追及をのがれ、処分を維持しようと腐心画策したにもかかわらず、処分の不当性はつぎからつぎへと暴露され、ついに抗しきれず、問答無用とばかり強権を発動し、警察権力と一体となつて、労働者の正当な権利をふみにじつたものである。

この点について、原判決は、「一一月三〇日午前一〇時頃県教組の執行部が教委側との間に翌一二月一日午後一時から交渉を再開する旨を取り決めて、一旦交渉を打ち切るまでの間は、右執行部により一応統一された組織的な交渉をしていたもので、団体交渉の形態及び内容を備えていたものと認められる」と認定している。右の認定は、この間の個々の事実認定や評価に多くの誤りを含んでいるとはいえ、この部分に関するかぎり、結論的には正当である。

(2) ところが三〇日午前一〇時ごろ以後の本件団体交渉の情況について、原判決が被告人山原等教組側の代表である執行部の委員が退出してからは世話役として被告人藤本、同上田が残つていただけで、それ以後は話合いの主体は一定せず、尾崎、西内等の被処分者グループを中心とし、その他安芸高校生徒、七者共斗会議に属する労組員、高知市校長会員等が順次委員室に押しかけて、入れ替りそれぞれ処分の不当性を詰り、或は処分の撤回、延期を要求する等、陳情とも抗議とも交渉とも判然としないような状況となり、もはやそこには団体交渉と認め得る統一的、組織的な交渉主体はなく、公開大衆討議とでも称し得るような騒然たる状態が、中内教育長から退去要求が発せられるまで続いていたことが認められる」と述べているのはなんら証拠にもとずかない原裁判所の驚くべき独断であり、重大な事実誤認である。

三〇日午前一〇時過ぎから、同日午後八時ごろ県教組幹部の要請により、組合員が教育委員会の建物から整然と退去するまでの間は県教組のあつせんによる高等教組安芸校分会と県教委との団体交渉がおこなわれていたものであることは、第一審および原審で取調べられた各証拠によつてまつたく明白である。県教組は、右のあつせんにあたり、県教組常任執行委員堀川影寿(原判決が前記引用のとおり右堀川を故意に割愛してかわりに被告人上田を世話人として記載していることは故意に事実をわい曲したものである。)および高等教組執行委員藤本幹吉の両名を世話人として交渉現場に残し、以後は右両名の援助を受けながら尾崎、西内ら安芸校分会役員らの統卒により整然と団体交渉が続けられたものである。この関係は、同日夕刻になつて、県教組の山原、古屋野書記長らがふたたび交渉現場におもむき、安芸校分会と県教委との前記団体交渉に参加し、右交渉の早期終結のためにあつせん努力したことによつてもなんら本質的に変るものではない。また、右の団体交渉の席に若干名の生徒や父兄、共斗会議の人々がやつてきた事実、あるいは、校長会のメンバーが県教委に抗議をするために交渉現場にやつてきたため、交渉を一時中断した事実などもなんら前記の一貫した交渉主体に変動をもたらすものではない。

(3) さらにまた原判決は、「安芸高校教職員に対する懲戒処分に関しては、一一月二九日夕刻から教組執行部と教委側との間において交渉議題として論じられてきたものであり、右の議題も含めて、すべて懲戒処分に関して翌一二月一日午後一時から再交渉する旨の取り決めがなされて一旦交渉が打切られたことが明らかである。従つて右の如き取り決めがなされた以上、教委側がもはや一一月三〇日における話合いの継続を打切るべきことを要請しているのに対し、被告人等教組員も右の取り決めに従つて、翌一二月一日の再交渉に俟つこととして右の要請を承認するのが信義則上からも当然の措置であるのにかかわらず、執拗に問題を再燃し、遂には教委側が退去要求をしたのに対しても、これを拒否して、あくまでも前示尾崎、西内両教諭に関する処分の延期を要求することは、それが仮りに職員団体の活動であるとしても、もはや許容し得る限界を逸脱していたものといわざるをえない。なお、所論の右尾崎、西内両教諭が事務引き継ぎ等のため一日登校することの承認を求めるというのは、その事柄の性質上とくに教育委員会の公的な承認を求める必要性があつたものとは思料し難く、その実質は要するに処分の延期を承認させようという意図であり、教委側も右の如き意図であることを察知して、右承認の要求について確約を与えなかつたものと認められる。そして、右各証拠によれば、被告人等は教育委員室及び同庁舎内にいた教組員等と相互に意思を相通じ一体となつて右退去要求に応ぜず、遂に警察官が出動して実力行使を始めるまで退去しようとしなかつたことが認められるのであつて、右の如き被告人等の所為が所論の如く職員団体の活動として当然許容されるべき範囲内のものであるとは、到底首肯されない。」と述べている。原判決の右説示はたんに証拠にもとずかない憶断であるのみならず、不当な処分を受けた労働者のやむにやまれぬ心情をいささかも理解していないばかりか、団結活動における組合幹部の任務や団体交渉の実体についても驚くべき無知を露呈し、重大な事実誤認をおかしているものである。

三〇日の朝、前夜来の県教組と県教委との団交について当事夜間に翌日続行の合意が成立したからといつて、重大な差別的処分を受けた安芸高分会の組合員が安芸校分会として独自に団交を求めることがなにゆえに不当であろうか。現に県教委は県教組のあつせんと安芸校分会の右申出を異議なく承認し、きわめてスムースに交渉を続けているのであつてなんら信義則に反するものではない。右安芸校分会と県教委との団交が比較的短時間で終つていれば、おそらく原審裁判所も同様に理解したに相異ない。しかしながら、県教委側のあまりにも不誠意かつ強圧的態度に加えて高知市教委代表者や校長会メンバーなどの来訪、長谷川教育委員の辞任など、予期せぬ事態によつて交渉が意外に長びいたからといつて、当初に団交を求めたこと、さらには団交を継続したことが非難されるいわれはない。とくに三〇日夕刻までの安芸校分会の交渉において、安芸校分会員に対する本件処分の唯一の資料とされた、山本熊泰校長の頴末書なるものに関連して同校長の日ごろの態度や性情についてくわしく説明するとともに、同日朝の県教組と県教委との間の了解にもとずき、翌一二月一日に交渉が続行されることとなつた新たな事態にかんがみ、右交渉の結論をみるまでは分会員尾崎、西内両教諭に対する停職処分の一日延期を要請することにもつとも重点がおかれたことはきわめて当然であり、右の各論点は、前日来の交渉では論じられていなかつた問題であつて、けつして、「執拗に問題を再燃」したものではない。さらにまた、右の点について、交渉が謬着状態となつていたため、三〇日夕刻に教育委員会におもむいた県教組の山原副委員長が、さらに譲歩して、処分の一日延期ではなく、せめて翌一日の登校だけを認めてもらいたいむねを要請し、県教委側にその点について協議を求めたところ、県教委側も右要請にもとずいて、約三〇分間の協議をしている事実によつても、県教委が右交渉に応じていたことは明白といわなければならない。なお、原判決が「事務引き継ぎ等のため一日登校することの承認を求めるというのは、その事柄の性質上とくに教育委員会の公的な承認を求める必要性があつたものとは思料し難く、その実質は要するに処分の延期を承認させようという意図であり」と説示しているのはまつたくの独断である。停職処分はその期間中、教諭としての職務に従事することを禁止されているものであり、停職処分を受けたものは右処分期間中に事務引き継ぎといえども任命権者の許可なくして教諭としての職務をおこなうことはすくなくとも将来問題の生ずる余地のあることであるから、組合側が本件団体交渉の機会にその点について任命権者たる県教委に確認を求めることは十分理由のあることである。しかも、原判決が述べているようにそれが当然に許されてしかるべき事柄であるならば、なにゆえに県教委はそのむね承認しないのであろうか。組合の要求はそれがいかに当然のことがらであつても決して容認しないという県教委のかかる態度こそ非難されるべきではないか。いわんや右の要求は、山原副委員長が、円満な団交の打切りを求めるため、県教委側が容易に同意しうる問題を提起して拾収をはかろうとしたものであることは、前後の事情から容易に理解されるにもかかわらずあえてこれを拒否したのは県教委側の許すべからざる挑発的態度といわなければならない。

(4) いわゆる「退去要求」がだされた後の情況については、原判決の認定をそのまま容認しているが、原判決の右認定も重大な事実誤認をおかしたものでありとうてい容認することはできない。「退去要求」をおこなつたのち、組合側が引きあげはじめるまでの間に県教委側が退室しようとした事実はまつたくない。団体交渉の途中で使用者側からとつぜん退去要求をだされた場合、労働組合としてはまずその真意をただすとともに、退去要求というような強圧的な態度をとらず、交渉の当事者が相互に歩みよつて交渉打切りの条件をみいだし、円満に拾収すべきことを要求するのは当然である。しかるに県教委は右の努力を一切おこなおうとしなかつたのである。このような県教委の態度に対して、組合側は必要な最少限の時間をかけてその非を指摘し、翻意をうながし、すくなくとも交渉の円満な打切りを確認したうえで退去に応ずるため最後の努力をしたのである。このことがなにゆえに非難されなければならないのであろうか。警察官が教育委員会の庁舎に入つてきたとき山原副委員長が県教委側に対し、「団交打切りをするから出てきてもらいたい」むねをくりかえし要請したことは原判決も認定しているとおりである。県教委側に他意がなければ、なぜ右の要請にこたえなかつたのであろうか。右の事実は、本件団体交渉に臨んだ県教委側のかたくなな態度を端的に示していると同時に、「退去要求」の後に県教委側がみずからすすんで退室しようとしたむねの認定がまつたく誤つているものであることを示しているといえよう。

(三)  本件における不退去罪、不法監禁罪はいずれも成立しない。

(1) 原判決が本件について不退去罪を認定したのは、前述したとおり本件団体交渉の具体的情況についての重大な事実誤認に起因するものであつて、とうてい容認することはできない。原判決は「右の退去要求を受けるや幹部の統卒のもとに被告人等は教組員等数十名と相互に意思を通じ一体となつて右退去要求に応ぜず」と認定している。しかしながら、団体交渉の当事者が退去要求を受けてただらに退去しないかぎり右退去要求を受けたときから不退去罪が成立すると解するならば、すべての使用者はこれによつて団体交渉から免れ得るであろう。団体交渉の途上における退去要求は当然のことながら交渉そのものの打切りを前提としているものというべきであるから、交渉打ち切りについて当事者双方に了解がない以上は退去を要求された側においてその点について相手方の真意をたしかめ、打ち切りの確認を要求することはきわめて当然であり、そのために退去要求に応ずるまでに一定の時間を要したからといつてただちに不退去罪が成立するいわれはない。現に前日来の団交の途中においても、県教委側は組合側の追及に対して答弁ができなくなると交渉の一方的打ち切りをほのめかすようなことが何回かあつたにもかかわらずそのつど教組側の説得により交渉が継続されてきたのであつて右の事実によつてもこのことは首肯されなければならない。さらにまた、原判決は「とにかく同日午後六時四六分頃中内教育長が退去要求を発するまでは、被告人等教組員更には安芸高校教職員等の交渉あるいは陳情等をあくまで拒否し場合によつては警察官の出動を要請してでも退去を図ろうとするまでの意思はなく、不本意ながらも交渉を継続しまた陳情を聴取していたものであることが認められる」と述べている。したがつて、原判決も、右の「退去要求」が発せられるまでは「交渉が継続し」ていたことを認めているのである。さすれば組合側にそれまでに退去の意思がなかつたことは当然であり、またそのことについて非難されるいわれはない。とすれば、原判決の「右の如く当所から全く退去しようとしない態度を明示している場合に、一定の時間的猶予を考慮する必要のないことも明らかである」と説示しているのは明らかにすりかえての論理ではないか。この点について原判決について理由不備の違法があることに多言を要しないであろう。

(2) また、原判決が本件について不法監禁罪を認定したことも、前同様原判決の本件団体交渉の具体的情況における前記重大な事実誤認に起因するものであることはいうまでもない。被告人らに監禁の犯意はなく、いわんや中内教育長らの退出を阻止した事実はまつたくない。とくに原判決が、午後六時四六分ごろの「退去要求」を境にして右時刻以後監禁罪の成立を認めたことは原判決の無罪部分の判示と明白に矛盾し、理由そごないしは理由不備の違法を免れない。すなわち、原判決は無罪部分について「中内教育長等教委側に、あくまでも教組側の抵抗を排除して脱出を図ろうとする真摯かつ強固な意思があれば、外部との連絡は可能であり外部の力を借りで脱出することも容易であつて、未だ脱出を著しく困難ならしめる程の客観的な状態にまで立ち至つていなかつたものと認められる」と述べている。しかしながら右の認定は、いわゆる六時四六分ごろの「退去要求」以後の情況についてもまつたくあてはまるのであつて、右の客観的状態について「退去要求」の前後になんらの変化もない。原判定もその点についてまつたく説示していない。さすれば「退去要求」後に監禁罪が成立するとした原判決は、法令の解釈適用に重大な誤りをおかしていると同時に、理由そごないしは理由不備の違法をおかしているものと断ぜざるをえない。

以上を要するに原判決は憲法に違反し、かつ重大な事実誤認、法令の解釈の誤りなどの違法を含むものでありこれを破棄しなければいちじるしく正義に反するものである。

検察官の答弁書(昭和四四年九月一九日付)

弁護人らの上告趣意第一号は、本件被告人らに対する起訴は、本件に関与した他の被疑者らの処分と権衡を失するのみならず、思想信条等を理由とする差別的起訴であつて正義、公平、平等に反した違法な起訴であるのに、これに審及判断しなかつた原判決には憲法一四条違反があり、第二点は、原判決には、本件団体交渉の実情について、重大な事実誤認があり、ひいては憲法二八条、刑法二二〇条の解釈適用を誤つた法令違反があるので破棄さるべきであるというにあるが、原判決には憲法一四条違反もなく、その他はその実質において単なる事実誤認と法令適用の違反を主張するに過ぎず、適法な上告理由に当らないので、上告は棄却さるべきものと思料するが、所論にかんがみ若干意見を述べる。

上告趣意第一点、憲法一四条の解釈適用の誤りについて

論旨の要点は、本件交渉は、高知県教職員組合(以下県教組と略称)幹部の責任と指導のもとに行なわれたものであるところ、本件交渉において積極的役割を演じ、かつ、県教組役職上においても、被告人山原を除いては被告人らより主要な地位にあつた古屋野書記長、森副委員長が起訴を免がれ、右両名および被告人山原らの指示に従がい、他の組合員らと行動をともにしたに過ぎない被告人らが五十数名の逮捕者中よりえらびだされて起訴されたことは、被告人らが共産主義思想の持主であるゆえをもつての差別的起訴であり、公平、平等、正義に反する訴追であつて、本件公訴分続は憲法一四条に違反した違法な起訴である。それにもかかわらず、原判決がこの点につき審及判断せず、本件起訴処分の違法性を明らかにしなかつたことは憲法一四条に違反するというにある。

しかしながら、現行刑事訴訟法上検察官は起訴、不起訴について広汎な裁量権を持つていることから、公訴の提起は、それが手続規定に従がい適式になされているかぎり、法律上は常に有効であつて、裁判所はその実体につき審判すべき責務を有するとするのが判例の基本的態度であり(昭和二四年一二月一〇日最高裁判所第二小法廷判決)、学説上も通税と言つてよく(平野竜一、刑事訴訟法一二八頁、団藤重光、刑法と刑事訴訟法の交錯一六八頁以下)、これと同じ立場に立ち、起訴、不起訴に関する検察官の裁量の当否はそれ自体公訴提起の効力とは別個の問題に属し、裁判所は公訴の受理に当り、起訴が不当偏頗であるか否かを調査すべきものではない」との見解を明らかにする高裁判例も相次いでいる(昭和三八年一二月二四日東京高裁判決、昭和三七年二月二六日東京高裁判決、昭和三八年六月二四日東京高裁判決、判例時報三三八号四三頁)。従つて、原判決が本件の実体につき審理を遂げ有罪と認定するに至つた以上、古屋野、森両名をはじめとし、本件に関係して不起訴となつた多数被疑者らの不起訴処分及び被告人らの起訴の当否に触れるまでもなく原判示に及んだことは当然であつて、しかも、弁護人らは本件控訴趣意書において公訴提起手続の違法を主張しておらず、従つて原審がこの点に関する判断を示していないのにかかわらず公訴権の濫用に審及しなかつたことを不当とする所論は全くいわれがない。

いわゆる公訴権濫用論は、近時、法廷において時に主張されるところであるが、その主張は、犯罪の嫌疑がないか、あるいは、犯罪の嫌疑があつても、刑訴二四八条に照らし、事案軽微で起訴猶予が相当であるのにかかわらず、これを無視し、特定の思想的、政治的、社会的立場にあるの故をもつてのみ公訴を提起したような場合は、検察官が、その独占する公訴権を濫用したこととなつて憲法一四条、一九条、二一条、二八条、三一条等に違反することになるから、刑訴三三八条四号に当る場合と解し、公訴を棄却すべきであるというにある。その理由のないことは前記諸判例によつて明らかであるが、一審判決例の中にはこれに同調し、「労働事件であるからとの理由で特に起訴処分がなされたもので、一般の起訴猶予基準を著しく逸脱し、その意味で憲法一四条、二八条に違反するものと認められるとすれば、中略 公訴棄却の判決をすべきものと解したい」(大阪地裁昭和三八年(わ)三、七七七号暴行被告事件における昭和四〇年九月八日の中間判断、判例タイムズ二〇六号一四八頁)、「全く犯罪の嫌疑のないことが明白であるのにことさらに公訴を提起しまた起訴猶予を相当とすべき明白な諸事情があるのに故意に起訴したことが客観的に明らかである等検察官の公訴提起それ自体が違法と認められる場合には公訴提起の手続に違反するものとして判決により公訴を棄却しうる」(昭和四二年七月二七日東京地裁判決、下級裁判所判例集九巻七号九二四頁)など、きわめて制限的ではあるが、公訴権の濫用を理由とする刑訴三三八条四号の適用を認めようとする見解を示すものもある。その論旨はきわめて稀有の場合を想定し、一般論、抽象論として論じられているのであつて、実務的には顧みるに値いしないが、さらに敷すれば、起訴猶予の基準の一つとしての事件の軽微性という概念も、裁判におけるある程度の実体形成をまつて得られる評価概念であつて、一見微罪とみられる事件が果してそうであるかどうかは審理を尽してみなければわからないことのあることは実務経験上明らかなところであり、軽微性の概念をもつて公訴権濫用を決定する客観的合理的指標とすることはきわめて困難と言わねばならない。また、他事件との軽重を比較し、平等保護に違反したかどうかの判断を裁判所に求めることは、本案の審理を離れ、それと関連性のない同種の多数不起訴事件までを審理の対象とし、かつ、検察官の専権に属する不起訴処分の当否の価値判断にまで立入ることを裁判所に求めることとなるが、かくては裁判所がいつの間にか事件性の本質から離れ、検察権運用一般を審査し、不告不理の原則を逸脱するなど、現行刑訴法の基本原理を紊ることになりかねない。事件の軽微性とか、事件の軽重の価値判断は、刑訴二四八条の定める諸要素を綜合した微妙な判断であつて、どの要素に重きをおくかによつて、また判断の時点、観点の相違によつても左右されるものであること、同種事件であつても、事件を異にするごとにそれぞれ異つた顔を持つものであることにかんがみれば、裁判所に対し審理の対象とされた係属事件以外の同種事件にまで手をのばし、事件の軽重の比較をするに足るだけの実体審査を求めることは現行刑事訴訟制度のたてまえにも反するのみならず、きわめて難きを強いるものであつて、事案の軽微性や平等保護違反を理由に公訴権濫用を認めようとする論議はほとんど机上の空論に過ぎないものと言わざるを得ない。

昭和二六年九月一四日最高裁判所第二小法廷判決(刑集五巻一〇号一九三三頁)は、物価統制令違反の事件について、組合の認めた売買価格によつたに過ぎないのに、組合員一五〇名中被告人等五名のみが検挙処罪された事案について「論旨のようにたとえ他の違反業者が検挙処罪されなかつたような事情があつたとしても、いやしくも起訴公判に付されてこれが審理の結果被告人等を有罪とした原判決を目して憲法一四条に違反するものと論ずることはできない。」と判示していることもおそらく右の趣旨に出でたものと思われる。

本件被告人らの所為が監禁罪、不退去罪に該当することは原判決の判示のとおりであつて、仮に公訴権濫用を認める前記地裁判決などの見解に立つたとしても、その罪質犯情にかんがみて、起訴猶予を相当とすべき明白な諸事情がある場合とはとうてい認められず、また被告人らを古屋野、森、その他の関係被疑者らと不当に差別して起訴したと認むべき証拠も見当らず、公訴提起手続に違法は認められないから、原判決が公訴提起手続の違法性を看過し、憲法一四条に違反したという所論は全く理由がない。

上告趣意第二点、重大な事実誤認と法令の解釈適用の誤りについて

所論は、要するに、原判決が、本件団体交渉のうち有罪と認定した部分について重大な事実誤認があり、本件の経緯、労働基本権保護に関する一〇・二六全逓中郵事件判決、四・二東京都教組事件判決、仙台全司法事件判決等の最高裁判所判例の趣旨にかんがみるとき、本件団体交渉は憲法二八条と労働法の根本精神に照らして終始正当なものと解すべきであり、教委側はこれに誠実に応ずる義務があつたこと、従つて退去要求は不当であつて不退去罪、監禁罪は成立せず、また、監禁罪の構成要件に該当する事実もないというにあるが、単なる事実誤認、法令違反の主張に帰し適法な上告理由に当らないのみならず、右論旨は弁護人らが一審弁論および控訴趣意において既にくりかえし主張し、これに対し、その理由ないことを原判決が詳しく判示しているところであつて、一件記録を調査するも原判決の事実認定、憲法その他法令の解釈適用に誤りはなく、上告は棄却さるべきものと思料するが、なお、若干意見を述べる。

原判決は、本件団体交渉ないし集団交渉の状況のうち、三〇日午前一〇時頃までについては「不穏当な言動」や「常軌を逸したと非難される措置」があつたことは認めながら、一応正当な団体交渉としての形態および内容を備えていたことを判示しており、弁護人らもこれには大体異論がない。しかしながら原判決も、その団体交渉の性格については公務員法上の制約の存することを認め、教委側が任意説明に応じたこと、すなわち、交渉に入ることを承諾したことを理由に団体交渉としての正当性を説明しているのであつて、原判決の表現をかりるならば「交渉を打切るまでの間は」「常軌を逸した措置として非難されてもやむを得ないような点があつた」としても「違法もしくは著しく不当なものであるとまでは認め難い」という程度の正当性を持つていたに過ぎないものである。本件交渉の契機が四百数十名におよぶ大量組合員の処分にあることを考慮に入れても、地方公務員法上懲戒事項は交渉の対象とならず、交渉の人員、場所、時間についてもあらかじめとりきめた手続によつて行なうなど一定の秩序が求められている以上、一たん説明に応じた後であつても説明の程度は教委側の裁量に属し、長時間にわたり、吊し上げ以上の状態(一三九六丁)を甘受しなければならない道理はなく、三〇日午前一〇時頃以前においても、何時でも交渉を打切り退去を求めることも自由であつたと思われる。従つて三〇日午前一〇時ごろを境として、原判示のように「話し合の主体は一定せず」「入り替り、それぞれ処分の不当性を詰り、或は処分の撤回、延期を要求する等陳情とも抗議とも交渉とも判然としないような状況となり、もはや、そこには団体交渉と認め得る統一的、組織的な交渉主体はなく、公開大衆討議とでも称し得るような騒然たる状態が、中内教育長から退去要求が発せられるまで続いていた」という状態にいたつてはもはや論外で、監禁罪の成否はともかくとしても、憲法が保障する正当な団体交渉権の行使はとうてい認め難い状態にあつたことは明らかである。

所論は、この点につき原判決の事実誤認をいい、かつ、原判決が本件について示した公務員労働者の団体行動権に関する狭く、かつ誤つた見解は、今日における最高裁判所の労働基本権に関する憲法解釈基準に照らして改められなければならないというが、一件記録を調査するも原判示に誤りは認められず、中郵事件判決、東京都教組事件判決の判旨にかんがみても憲法の解釈適用に誤りはない。すなわち中郵事件判決は刑事制裁の対象とならないのは、「たんなる罷業または怠業等の不作為が存在するにとどまり、暴力の行使その他の不当性を伴わない場合」であり、かつ「右の限度において」であるとしているのであつて、本件のように、二七時間余りにわたり多衆の威力によつて教委側の自由を制限し、被告人ら教組員が腕を組んで人垣をつくり、いわゆるスクラムによつて退出しようとする教育委員らを押しかえして退出を阻止するなどの所為は、まさに争議行為の可罰基準として中郵事件判決がいう「暴力その他の不当性を伴う」場合、或いは仙台全司法事件判決がいう「不当な圧力を伴う」場合に当り、これら大法廷判決の趣旨に照らしても違法であることは明らかである。

およそ、団体交渉権の行使には、自ら一定の制約があり、いかなる場合にも平和的に、かつ一定の秩序を保持して行使さるべきであること(昭和二六年八月二七日広島高裁松江支部判決、判決特報二〇号一六八頁)、また、団体交渉をすること自体が正当であるとしてもその方法が社会通念上一般に許容される限度を超えるときは刑法三五条の正当の行使とはいい得ないこと(昭和二八年六月一七日最高裁判所大法廷判決、刑集七巻六号一二八九頁)は判例の明らかにするところであり、公務員の団体交渉についても、昭和四二年六月一三日最高裁判所第三小法廷判決は、大阪此花税務署における署長と全国税労組員との間の団体交渉において、組合側が予め積極的暴力の行使はなかつたとしてもとりきめた交渉の条件に違反して団体交渉を要求したため、署長がこれを拒否して退席しようとした際、これを阻止しようとして発生した暴力事件について、「国家公務員も、憲法二八条にいう勤労者であつて、原則的にはその保障を受けるべきものであるけれども、その団体交渉その他の団体行動が暴力を伴う場合には、もはや右憲法の規定に保障された正当な行為の限界をこえるもので刑事制裁を免れないものであることは、当裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決および昭和二四年五月一六日大法廷判決の明らかにするところである。」と前おきしながら、「署長が会議室から退去しようとすると、被告人らは、ほか数名の者と共同して同人を取り囲み、そのネクタイをつかんで締めつけ、あるいは、同人の手や服をつかんで引つ張り、同人の身体を押えるなどの暴行を加えたというのであるが、それがたとえ同署長に対し、右の団体交渉に応ずるよう要求する行為であつたとしても、もはや正当な団体交渉権の限界をこえるものというべきである。」旨判示し、暴力行為等処罰に関する法律違反の罪の成立を認めまた署長が行なつた退去要求に応じなかつた被告人らの行為について不退去罪の成立を認めている(同旨昭和四一年一二月二三日最高裁判所第二小法廷判決、猪苗代営林署事件)。

これらの判例の趣旨に徴しても、三〇日午前一〇時頃以降の団体交渉は憲法二八条の保障する正当な団体交渉権の行使とはいい得ず、本件退去要求は正当であり、被告人らの本件所為について不退去罪および監禁罪の成立を認めた原判決は正当で憲法二八条の解釈適用の誤りもない。所論はいずれも理由がない。

以上述べたところで明らかなように、本件上告は理由なく、棄却さるべきものと思料する。

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